標本ノスゝメ



いわゆるクワガタブームに火が点いて幾星霜。
数多くのクワガタムシに接し、その採集や飼育に一段落してきた方々も多いことだろう。
私のまわりにも標本蒐集を始められる方が多くなってきた。

さて、趣味の世界であるのだから、色々な楽しみ方があるのは当然なのだが、
「採集を楽しまれる方は、ぜひとも標本も」
と、あえて述べたい。

ひとくちにクワガタファンと言っても、採集派の方のなかにはほとんど飼育されない方もいるし、 逆に飼育ばかりで採集に出かけない方もいる。
標本コレクターの方々においては、ご自分で採集には出かけない方も多い。

採集・飼育・標本、大きく3つに分けられるクワガタ趣味は、もちろんご自分の興味にあわせて行われるべきであることは 間違いないのだが、しかし、少なくとも採集を楽しまれる方には、採集個体をある程度標本として残すべきである、 というのが私見である。

採集の記録を残すということは、現在のまたは将来の学術研究的立場からも重要なことであり、 そのためには採集個体を標本として半永久的に保存することが望ましい。

採集行為自体を楽しむ場合は、とくに標本として残さなくてもいいのではないか?
という反論も予想されるが、採集行為に過去の採集情報は付き物であって、雑誌の採集案内や人づてのポイント情報など なんの下調べもなしに採集し続けることは実際には不可能である。

自分の採集には先人達の情報を利用しておいて、自らの採集結果に関しては秘匿するというのでは、 昆虫仲間・採集仲間としては異端であることは疑いがない。
(この場合、オオクワガタ採集ポイントなどの公開による採集地の荒廃はまた別問題である。)

既知産地における追加情報や、新産地の開拓などは将来の昆虫界・昆虫仲間のためにも、記録として残すことが 採集家としての役割の1つであると筆者は強く思うのだ。

では、標本の代わりに写真などでもいいのでは? と考える読者も少なくないだろう。

しかし、
「現代の技術を持ってすれば写真はどのようにでも加工できる」
ので、個体の伴わない画像情報だけでは記録としての価値の大半が消滅してしまう、とはベテラン採集者O氏とT氏の言。

昆虫に限らず、どの分野においても口先だけの情報は氾濫するものであり、恣意的情報との判別に誤解を 生じさせない方法は、簡単明瞭、やはり標本なのである。

標本コレクターが必ずしも採集者である必要はないが、採集者は標本作製を兼任するべき、 いわば非可逆的関係が成り立つ理由がこれなのだ。

このことは、切手や古紙幣の蒐集者が自らこれらを作成する必要がないのに対し、 製造者側はサンプルの保存(=蒐集)とともにその品質と流通に常に気を配らなければならない、ということに似ている。

我が国の昆虫界の世界的水準はトップレベルであり、 そのレベルを支えてきた原動力はアマチュア昆虫愛好家の貢献に依るところが大であることは間違いない。

ご自分の足跡として、次の世代の昆虫愛好家のため、また昆虫界全体のために「採集個体を標本として記録」されることを 採集愛好家のみなさんにご提案するものである。



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